この地図について
この地図は、一次資料に基づき、日系カナダ人が強制的に移動させられた場所を特定するために、研究チームが可能な限り調査・検証した結果、特定したものである。これらの場所の多くは、現在も住民が生活している町や村として残っており、同じ場所に位置しているため、場所を特定することは容易である。その一方で、複雑なケースも存在する。漁業、缶詰製造、鉱業などの活動が行われていた多くの場所は、現在は存在していない。一部の入植地はすでに消滅している(例えばパルディ);また、境界や中心地が変わったとこもある(例えば、サーニッチは元々1つの地区であったが、その後4つの地区に分かれている。一方、サーニッチに住む人々の多くは、郵送用の住所がビクトリアとなっている;また、実態がほとんど分かっていない場所も存在する。例えば「サービス(Service)」という場所は、実在した形跡がなく、実際には郵便物の転送ルート(経路指定)を表す仕組みの一種であった可能性がある。同じ場所が、異なる複数の名前で呼ばれているケースもある(例えば、「スティーブストン・ハイウェイ(Steveston Highway)」は、「スティーブストン(Steveston)」とは別の場所だったのだろうか、といった疑問である)。しかし研究チームとしては、当時の住民や記録担当者にとって、それらが実際に区別されていた可能性を完全に否定することはできない。そのため、今回の地図上では2つの点を隣に並べて配置することで、これらの場所をそれぞれ残す形をとっている。
数々の疑問や不明な点はあるものの、研究チームはこの地図全体が、人々が強制移動させられる前に暮らしていた日系カナダ人コミュニティの地理的分布を十分に描き出していると考えている。これらのコミュニティは、おそらく誰もが予想する以上に多様であり、その数も非常に多い。広く知られ、多くの記録が残るバンクーバーやロワー・メインランドのコミュニティに加えて、日系カナダ人はバンクーバー島やガルフ諸島の全域、さらにはるかノース・コーストのハイダ・グワイから州の内陸部に至るまで、あらゆる場所で暮らし、働いていた。