プロジェクトの背景
日系カナダ人記念碑:敬意、追憶、不屈の精神
これは、コミュニティが分断された歴史を抱えながらも、全ての家族が愛する人を見つけ、その人を強制移動前の住居地と結びつけることができるよう、一人ひとりの名前を刻むことで、全ての人の敬意を表したいという思いから生まれたものであります。
ビジョン
1942年にBC州沿岸部の自宅から強制移動させられた約2万2000人の日系カナダ人に敬意を表す記念碑を設けるという構想は、スザンヌ・タバタのビジョンをきっかけに、2020年に具現化し始めた。ワシントンD.C.のベトナム戦争戦没者慰霊碑に着想を得たこの記念碑には、強制移動させられた日系カナダ人一人ひとり名前を刻み、実際に触れることのできる体験を提供することが構想された。それは家族や子孫が、祖先の名前が刻まれたレリーフを指でたどり、生活の拠点を突然断たれた時に暮らしていたコミュニティと結びつけることのできる場所である。
2022年、日系カナダ人歴史遺産協会(以下、JCLS)が設立された後、ユーコンを拠点とする建築設計コンサルタントのジャック・コバヤシ(Jack Kobayashi)(Kobayashi | Zedda建築)は、現在JCLSのCEOを務めるスザンヌ・タバタとともに、ビジョンを発展させ、記念碑のデザイン案とコンサルタント・レポートの作成に取り組んだ。この基礎となる文書によってプロジェクトの規模と費用が明確になり、BC州政府との歴史的な合意の実現にもつながった。
研究
2023年、JCLSは、戦前の居住地ごとに、日系カナダ人の氏名を網羅したデータベースを作成するため、ビクトリア大学のHumanities Computing and Media Centre(HCMC)に調査を依頼した。マイケル・アベ(Michael Abe)が率いる研究チームは、1年以上をかけて、カナダ国立図書館・文書館が所蔵する14,500件のケースファイルをはじめ、さまざまな一次資料を分析した。HCMCではマーティン・ホームズ(Martin Holmes)が、中心的な役割を担った。チームは、強制移動させられたすべての人を記録することに努めた。また、1942年から、日系カナダ人に移動の自由を含む市民権が認められた1949年4月1日までの間に、追放・収容下で生まれた3,000人を超える子どもたちに敬意を示すため、別の名簿も作成された。
研究のプロセスの詳細は名前の名簿を参照。
デザイン・チーム
2024年9月に全国を対象とした提案依頼書を提出した後、BC州政府とJCLSは創設パートナーであるブルース・クワバラ(Bruce Kuwabara)率いる建築事務所KPMBと、景観設計家のケリー・ミヨシ・マクキノン(Kelty Miyoshi McKinnon)(PFS Studio)を選定した。展示・解説のデザインははスザンヌ・タバタ(Susanne Tabata)とジョン・エンドウ・グリーンウェイ(John Endo Greenaway)とLost&Foundのスーザン・メーバー(Susan Mavor)がともに制作したものである。
建設
最終的なデザインは、日本庭園を思わせる空間の中に、重さ約0.5トンの花崗岩のパネル100枚を用いた、全長約300フィート(約91メートル)の記念碑の壁が設置されている。パネルには、1942年に沿岸部の自宅から強制移動させられた約2万2,000人の氏名とともに、強制移動の期間中に生まれた3,000人を超える子供達の氏名が刻まれている。
加えて、日系カナダ人の歴史における重要な節目をそれぞれ刻んだ5つの碑石が設置されている。
2025年10月29日、エスクィマルトとソンヒーズ・ファースト・ネーションズは、ビクトリアの地域住民、強制移動を経験した日系カナダ人の生存者、その子孫が見守る中、記念碑の建設地で、土地の祝福とシダー・ブラッシングの儀式を行った。2025年後半から2026年にかけて建設が進む中、花崗岩に刻印されたパネルがケベック州のイースタン・タウンシップスから州都まで、カナダを横断して運ばれた。
日系カナダ人の記念碑は構造的不正義とコミュニティの再起を象徴している。ここは家族と愛する家族がかつて故郷と呼んだ場所とのつながりを取り戻す姿を見つめることのできる憩いと安らぎの場であり、制度的な不正義がもたらした人々の代償を後世に伝えるとともに、日系カナダ人コミュニティの立ち直る力に敬意を表するものである。
お陰様で